
登戸研究所を見学してきました
〜戦争は、普通の暮らしの中に入り込んでくる〜
今日は、川崎市にある 登戸研究所資料館 を見学してきました。
登戸研究所とは、戦時中に旧日本陸軍が秘密裏に研究を行っていた施設です。
そこでは、風船爆弾、偽札、化学兵器、生物兵器など、「戦争に勝つため」の様々な研究が行われていました。
私は今回の見学を通して、戦争というものが、決して遠い世界の話ではなく、普通の人々の日常の中に深く入り込んでいくものなのだということを、改めて強く感じました。
「秘密の研究所」で行われていたこと
登戸研究所では、戦争に勝つための“特殊な研究”が行われていました。
敵国の経済を混乱させるための偽札づくり。
アメリカ本土まで飛ばす「風船爆弾」。
そして、生物兵器や化学兵器に関わる研究。
戦争には本来、守るべき国際的なルールがあります。
無差別に多くの人を傷つける化学兵器や生物兵器は使ってはいけない。
民間人を狙ってはいけない。
それでも、戦争が激化する中で、「勝つためには何でもする」という方向へ進んでいってしまった現実が、そこにはありました。
特に印象的だったのは、風船爆弾の話です。
直径10mもの巨大な和紙の風船に爆弾をつけ、偏西風に乗せてアメリカ本土まで飛ばしていた。
しかも、本来その風船には、禁止されているウイルス兵器を搭載する計画も検討されていたそうです。
戦争が、人間の感覚を麻痺させ、どこまでも追い込んでいく。
その恐ろしさを感じました。

働いていたのは「普通の人たち」だった
今回の見学で心に残ったのは、そこで働いていた人たちの存在でした。
研究所で働いていたのは、特別な軍人だけではありません。
むしろその多くは、近所に住む普通の人たち。
10代の少女・少年たち。
親子や兄弟で働いていた人たちでした。
みんな、「お国のために」と働いていたそうです。
当時は、研究所で働けば兵隊に行かなくて済むという事情もあり、地域の人々にとっては大切な仕事でもありました。
休み時間には池で遊び、仲間と笑い合いながら働いていたという話も残っています。
つまり、そこには確かに“日常”があったのです。
けれど、その日常の中で、人を傷つけるための研究が進められていた。
しかも、多くの人は、自分が何のための作業をしているのか、知らされていなかったそうです。
「秘密だから」
その一言で、自分の仕事の意味すら知らないまま働いていた人たちがいた。
そして終戦直後には、すべての記録を燃やすよう命じられ、戦時中の仕事については、まるで“なかったこと”かのように語られなくなっていった。
そのことが、とても重く感じられました。

「誰にも話してはいけない」という時代
登戸研究所では、働いている内容を家族にも話してはいけなかったそうです。
兄弟同士でも、
親子でも、
夫婦でも。
「秘密」を守ることが徹底されていました。
戦後になっても、多くの人は何十年も口を閉ざし続けました。
自分が何をしていたのか。
何に関わっていたのか。
誰にも話せなかった。
資料館には、当時の資料が奇跡的に残されています。
終戦時、多くの資料は焼却命令によって処分されました。
玉音放送よりも先に焼却命令があったほど、絶対に隠蔽しなければ、という意向が強かったそうです。
しかし、ある女性が、自分が必死に書き続けてきた記録を「どうしても燃やせない」と言って、守衛さんの許可のもと密かに持ち帰っていたそうです。
その資料が、後になってこの地域を知ろうとした高校生たちとその先生の働きかけによって、ご本人より明かされました。そして、地元の方々同士でも頑なに口を閉ざしていた当時の記憶を、地域の元職員の方々が少しずつ教えてくれるようになり、登戸研究所の実態が明らかになっていきました。
もし、その人が残してくれていなかったら、そして地域の方々が何十年前もの記憶を語ろうとしなかったら、私たちは多くのことを知ることができなかったかもしれません。
歴史は、「残された記録」と、「語ろうとした人」によって、ようやく知ることができるものなのだと感じました。

私の祖父のことを思い出した

今回の見学で、私は自分の祖父のことも思い出しました。
祖父もまた、戦争について多くを語らない人でした。
兵隊の訓練中に終戦を迎えたことは話してくれましたが、それ以上のことは、ほとんど語りませんでした。
でも、私を本当に可愛がってくれた祖父が、唯一、私を強く叱ったことがあります。
私がまだ若い頃、
「集団的自衛権って何?」
と軽い気持ちで尋ねた時でした。
メディアでは賛否両論語られている集団的自衛権について、国会中継を日々見ていた祖父なら、知識だけでなく、祖父なりの考えがあるだろうと思い、聞いてみたのです。
しかし祖父は、私が無知なまま軽く聞いていると受け取ったようで、普段とても穏やかな人だったのに、その時だけは私を叱りました。
今思えば、祖父の中には、戦争や国家や平和について、言葉にできないほど重い実感があったのだと思います。
語れなかったのかもしれない。
語りたくなかったのかもしれない。
その沈黙の意味を、今回改めて思い出し、考えさせられました。
戦争は、「普通の日常」の中で進んでいく
今回の見学を通して、私が強く感じたのは、
戦争は、特別な誰かが特別な状況で関わるものではない、ということです。
当時の人々も、
毎日を生き、
家族を大切にし、
地域で暮らし、
笑い、
働き、
前向きに日常を送っていた。
その普通の暮らしの中に、
戦争という巨大な社会構造が入り込み、
人々を巻き込み、避けられようもなく加担させていく。
「国のため」
「みんなやっている」
そうした空気の中で、社会全体が戦争へ向かっていく。
戦争は、突然始まるものではなく、日常の延長線上にある。
だからこそ、
過去を学び続け、
日常の中の社会構造や大きな政治の動きに対して、
簡単に流されずに、
「本当にこれでいいのか」
と考え続けることが大切なのだと感じました。

子どもたちの未来のために
登戸研究所資料館は、単なる戦争展示ではありませんでした。
そこは、
「人々の暮らしのなかに入り込んでいた戦争加害への加担の歴史」
を考えさせられる場所でした。
そして同時に、
普通の人々が、どのように時代に巻き込まれていったのかを知る場所でもありました。
子どもたちの未来が、安心して暮らせる社会であってほしい。
今夜はさっそく、子どもたちに今日学んだことを話しました。
子どもたちも関心を持ってくれて、
「行ってみたい」
と言っていました。
機会を見つけて、一緒に訪れたいと思います。
私自身も、何度足を運んでも、そのたびに新しく考えさせられる場所だと感じました。
これからも学び、考え続けていきたいと思います。

研究の神様を祀った生田神社。
石碑の裏には、研究所時代の記憶を、戦後数十年後にようやく話し合うことが許された感慨深さを表す句が刻まれていました。
