子どもたちに、自然の原体験を
生活者ネットワークでは、環境保全にも取り組んでいます。
今日は、その中でも「自然を守ること」について、私自身の思いをお伝えします。
私は相模原市で生まれ育ちましたが、実は多摩の自然にも深い縁があります。
幼少期、私が通っていたのは完全野外型の幼稚園でした。
「青空幼児村」といって、毎日バスで山の中の公園へ行き、自然の中で過ごします。
その活動範囲が、相模原と多摩でした。

崖を登り、走り回り、鬼ごっこをする。
植物や虫について教わり、青空の下で歌い、絵本を読んでもらい、お弁当を食べる。
運動会や、入村・卒村式の舞台は河原でした。
そんな日々が、私の原風景です。
それ以前も、祖父と一緒に畑や田んぼ、相模川の河原をよく散歩していました。
気づけば、私の中には「自然の中で過ごす時間」が当たり前にありました。
自然が、心を支えてくれる
大人になってから、つらいときや息が詰まりそうなとき、
私は自然の中に行き、深呼吸をします。
すると、不思議と気持ちがほぐれ、
「また自分に戻れる」ような感覚になります。
自然は、私にとって心のホームのような存在です。
子どもたちから失われつつあるもの

一方で、今の子どもたちはどうでしょうか。
自然の中で過ごす体験は、確実に減っています。
私自身、かつて都心の方に住んでいたことがありますが、
空は狭く、どんぐりを探す場所も、花を摘む場所もなかなかありませんでした。
子どもたちにとって、自然と触れ合う機会が限られている現実を強く感じました。
今、多摩はまだ自然に恵まれています。
でも、すべての子どもが十分に自然に触れられているかというと、決してそうとは言えません。
原体験がないまま大人になるということ
もし、子どもの頃に自然の美しさや豊かさを体験しないまま大人になったら、どうなるのでしょうか。
私はそこに、大きな不安を感じています。
自然の中で心が満たされる経験を知らなければ、
人は「つくられたもの」でしか心を満たせなくなるかもしれません。
そしてそれは、お金で手に入れるものに依存する生き方につながり、
結果として、奪い合いや過度な競争の中で苦しむことにもつながるのではないかと感じます。
さらに私は、
美しいものを追い求める人間の活動も、科学の基となる知的好奇心も、哲学も、
その多くが自然体験を土台として生まれているのではないかと考えています。
自然に触れ、驚き、問いを持つ。
その積み重ねが、人間の創造性や思索を育ててきたのではないでしょうか。
自然体験が身に染みていることは、
単なる「癒し」にとどまらず、
生きることそのものを格段に豊かにすることにつながると感じています。
自然は「生きる土台」
だから私は、子どもたちが育つ環境にとって、
自然は「なくてもいいもの」ではなく、必要不可欠なものだと考えています。
自然は、何も求めなくてもそこにあり、
ただ存在するだけで、私たちの心を満たしてくれます。
そして、この世界のおもしろさに気づかせてくれる存在でもあります。
その経験は、子どもが小さければ小さいほど、大切です。

自然を守る理由
また、もし自然の美しさを知らないまま大人になれば、
環境問題やエネルギー問題にも関心を持ちにくくなるかもしれません。
でも、自分自身の体験として自然の美しさを知っていれば、
それを壊すことに対して、言葉にできないほどの違和感や責任感が生まれるはずです。
これからやりたいこと
だから私は、多摩の自然を守りたいと思います。
そしてそれだけでなく、
子どもたちが自然の中で遊び、その魅力に夢中になれる環境を、
保育園や幼稚園、小学校の中にも広げていきたいと考えています。
自然と触れ合う中で、
子どもたちはこの世界の豊かさに気づき、
好奇心や美しさへの感性、そして深く考える力を育んでいきます。
それは単に「環境を大切にする心」を育てるだけではなく、
人工的なものだけを追い求めなくても、
自分の心を満たしながら生きていけるという感覚につながります。
そうした感覚を持つことで、
生き方の選択肢は大きく広がっていくはずです。
50年後、100年後の多摩の自然を守るのは、今の子どもたちです。
その子どもたちが「自然を守りたい」と思えるように、
そして自然の中で得た豊かさを土台に、
自分らしい生き方を選び取っていけるように。
子どもたちの育ちの中に、
豊かな自然との関わりをしっかりと用意していきたい。
それが、私の環境保全に対する思いです。

